多摩川の砂利
2006/11/12 コメントする
日本の近代化に大きく貢献したもののひとつに「砂利」がある。
はぁ? と思われる方もいらっしゃるとと思うが、ちょっと考えてみるとコンクリートには必須であるし、構造物の基礎部分にも多用されており土木・建築の分野では欠かせない材料であることがわかると思う。
当然これらは人工物ではないため、どこかで採取されることになるが関東では多摩川が砂利採取を語るときはずせない場所となる。
河川についてあまり知識がないが、奥多摩を水源として広大な関東平野に流れ込む多摩川は上流から大量の砂利を中流から下流域にかけて氾濫原と呼ばれる川の蛇行の跡に堆積させた。
人間にとってこの多摩川の砂利は非常に上質であったため古くから採取が行われているようだ。それは大正時代に起きた関東大震災で爆発的な広がりをみせることとなった。この頃から構造物へのコンクリートの使用が増加していったのである。
こう書くと普通だが実際は盗掘や乱採取が横行し、通常我々が河川敷と呼んでいる高水敷は数メートル以上掘り下げられ堤防は崩され多摩川に架かる橋の橋脚も地中埋設部が露出してしまい危険な状態となるなどいってしまえば滅茶苦茶であった。
また、実際の河川敷にとどまらず周囲の氾濫原の広い範囲で田畑を業者が買占め穴を掘って砂利を採取したため周辺の田畑に水が溜まらず周囲の農家が離農するためさらに買占めの範囲を広げ後に「砂利穴」と呼ばれる大きな池がいくつも出現した。
その名残は例えば等々力緑地であったり、府中の多摩川競艇場である。
興味のある方は昭和10年に内閣府より発行された以下の文章を土木学会の「土木デジタルアーカイブス」で驚愕の砂利採取の実態を見ることが可能なのでご覧頂きたい。
社会科の教科書ではなかなか取り上げられないのではないだろうか。
多摩川砂利採掘取締に関する状況
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/j_naimusyo/kawa/45517/tama-jyari.htm
採取された砂利は川べりで販売もしくは使用されるわけではないので運搬する必要が生じる。古くは砂利運搬船と呼ばれる独特の船が主流だったようだが重量物でありしかも大量となると鉄道が最も得意とする分野である。
近年の日本では物流の主役はトラックであり、特に都市部にお住まいの方は以前に比べ貨物列車を見る機会も減っているのではないだろうか。しかし、旧来鉄道はむしろ物資の輸送を目的に敷設されることが多かったのである。
これらの鉄道は後に旅客も扱うようになって発展を遂げたもの(例:南武線)もあれば、その後砂利採取の禁止と共に衰退し遂には使命を全うし廃線となったものもある(例:東急砧線)。
実は私はいわゆる廃線めぐりが好きである。もっと言えば廃線のみならず近代産業遺構をこの目で確かめたいのである。
私はまだ調査を始めたばかりなのだがこれら多摩川の砂利をめぐる鉄道を横断的に把握したいと思っているがどなたか有益な情報をお持ちの方はお知らせ頂けるとありがたい。