ブログ移転しました

いつもご覧頂きありがとうございます。当ブログは今後基本的に更新せず以下の新ブログにて更新を行っていきます。

これまで以上にいろいろなことを書いていこうと思いますのでよろしくお願いします。なお、当ブログは当面このままの形で削除等を行いません。何かのお役に立てれば幸いです。

Posterous 使用開始

元来根っからの筆不精であるため、当ブログでも明らかなように更新頻度が低すぎて世の中に数多あるイケテないコンテンツのひとつとなっているが、そんな私でも以下のように複数のサイトを管理している。

  1. GNR – Golgodenka Nanchatte Research
    メインサイトであり、一時期 TV CM か何かであったコピー、『詳しくはホームページで !!』に相当するサイトである。
  2. GNR – 調査日誌
    GNR の調査日誌として、日々何を見て GNR に載せようとしているのかをブログ形式にてまったりと示しているが、これも現実のスピードに追いついていない。
  3. 当ブログ
    最も脈絡もなく、更新頻度もまちまちな徒然なるブログ。

実はこれら以外に Twitter もかじってみている(当ブログ右側ガジェット参照)が、写真を添付しようとすると Twitter と連携した他サービスを利用する必要がある(現時点では)。これまでは何となく TweetPhoto というサービスを利用していたが、Posterous に切り替えた。

切り替えた理由などは以下の Posterous 上の私の記事で簡単に書いているので参考にして頂きたいが、シンプルなデザインと Twitter との連携もしっかりしており、なかなかいい感じである。

元々同サービスは上記 2. 及び 3. で使用している Windows Live Spaces というブログサービスのアップデートに伴なう仕様変更(改悪)に辟易して以前より乗り換え候補として目をつけていたものである。

ただ、長年 の Windows Live のユーザーとしては簡単に乗り換えるというのも気が引けてしまったため、イマイチ踏み切れないでいた。そこへ来て Twitter との親和性を利用し、TweetPhoto からの乗り換え先として使用を開始してみたのである。

まだまだ使い始めたばかりで勝手が飲み込みてない部分もあるかも知れないが、なんと言っても変にいじらない限りかなりシンプルなので、今のところ気に入っている。

ただ、残念なことに同サービス内の検索までの検索は日本語に対応していない。ただ、検索窓を使う頻度は少ないかも知れないと無理やり納得(諦めて)して使用を開始した。GEEK な方々以外で私のような日本人の一般ピーポーではなかなか利用者が少ないと思われるが、何かの参考になれば幸いである。

写真は JR 東日本日光線日光駅ホームにある歴史を感じさせる水飲み場(例によって写真と本文は関係ありません)。

JR 東日本日光線【日光駅】ホームの水飲み場

GNR 調査時のなんちゃってデータ整理術 – その 2(現場編)

その 1(準備編) に引き続き、GNR にて現地調査を実施する際にどのようにデジタルツールを扱っているかを、特にデータそのものに着目して役に立たないのを承知で敢えて続けてみたい。私の場合準備編でも述べた通り現場には以下の機器を携行している。

  • デジタルカメラ
  • GPS
  • ノート PC
  • スマートフォン

まずはカメラである。廃線跡や旧道・廃道その他の現場を実際に訪れ調査(見学もしくは鑑賞とも言う)を行う際は、この目で見てみたいからこそ訪れるのではあるが記録を残したいということも重要なテーマである。もちろん、私は川口浩ではないので人跡未踏の地に足を踏み入れるのではないため、私のなんちゃって記録よりもずっと素晴らしい記録を多くの方が残されている。

しかし私なりの感動というか見て感じたままを、そしてその瞬間を私なりに残したいということから写真を撮るようにしている。と言うより、そもそもこれがないと GNR は成り立たない。ただし写真については現場でデータとして何か作業を行うことはなく、私の場合ひたすらにシャッターを押すだけである。

また最近は記録メディアの容量も大きく、私の場合 8GB の SD カードを使用しているが所有するカメラ (Canon EOS Kiss X3) の最大画質でも約 1100 枚撮影が可能なため、遠慮なしにじゃんじゃん撮影している。私の場合日の出から日の入り前までで体力の限界にチャレンジのように撮影してもごく稀にしかこの枚数を超えないため、失敗してもその場で消去することはよほどのことが無い限り行わない。むしろ撮り損じを考慮して同じものを何枚も撮るのである(それでもピンボケ大量生産の場合も多いが)。そもそも私にとって写真は『作品』ではなく『記録』であるため、あまり写真の出来について現地で時間をかけない。要は撮りっぱなしである。

次に GPS であるが、準備編で触れた通り写真に緯度経度情報を埋め込むために現地に携行しているが、実際に写真に埋め込むのは帰宅後なので、現地では調査開始時にログ取得をオンにするだけで後は電池の残量や GPS の信号の受信感度をしばしば確認する程度で基本的に放置プレーである。だが、不慣れな場所では GPS にあらかじめ転送しておいた目標地点を目指してナビとして利用することもある。

ただ、ナビといっても必ずしも道路ではない場所を辿ることが多いことや、そもそも道路地図ではなく地形図しか GPS 内に導入していないこともあり、ルート検索が不可能であるためコンパスというか目標地点との現在地との距離感の把握や既に現存しない対象の位置把握等を主目的に使用している。もちろん、道路地図も購入したいがイマイチ更新頻度が遅いためあまり食指が動かないのである。ちなみに、私が持っている GPS は GARMIN 社の Colorado 300 である。そしてこの機種用の道路地図データはこちらである。

このために GPS へ予めデータを転送するという仕込みが必要だが、それは別途ご紹介したい。

次にノート PC は実際現場で毎回使用するわけではない。出番となるのは特に見知らぬ土地を訪れる場合に予定のルートが通行不可であるとかの限定的なシチュエーションのみである。前述の通り私は GPS に道路地図を導入していないため、主だった道路以外の細かい道が表示されないので、それを補完する形でノート PC 上の OneNote にオンライン地図を必要な分について画像として貼りつけておき、必要に応じて確認するのである。また、最近はあまりそういうことは起きないが、カメラのメモリーが満杯になった際に現場で写真をこのノート PC に移動させる場合もある。

最後にスマートフォンである。これはノート PC 以上同様実際の現地調査では主力機器ではなく、いざという時の補完ツールである。すなわち道に迷った際に Google Maps を参照するために用いている。もちろん『電話』であるため、非常時の緊急連絡手段でもあるが、ここではそういう用途としては取り上げない。

実際廃線跡や旧道などの現在存在していない対象物を訪問する場合、予め GPS に地点やルートを登録してから行くのだがやはりいくら事前に地形図を見ていても実際現時点では地形や風景が変わってしまっていたり、アクセスルートが分からなくなってしまったりすることがままある。そういう際に条件さえ満たしている場合は GPS 内蔵のスマートフォンにて Google Maps を参照し、現在地や細かい道などを最新の地図として確認している。

そしてここでいう『条件』とはもちろん携帯電話としての電波が受信できることである。当たり前やんけ、と思われるかも知れないが例えば北海道の廃線跡である旧士幌線の十勝三股駅跡付近は圏外である。もう少し言うと糠平以北は既に圏外なのである(NTT DoCoMo)。また深い山の中でも圏外になる場合もあるだろう。私はあまり登山の知識がないのでそういう場所へは踏み込まないが。

もう一つスマートフォンの使い道として、現地からのリアルタイムの情報発信がある。これは Twitter などに代表されるサービスを利用するということであるが、これについては私が持つスマートフォンである T-01A のカメラがかなりショボいことと、そもそも私が文字を打つのが遅いためほとんど実践していないが、少しずつ挑戦してみたい。

さらにスマートフォンならではの面白い使い方として GPS とインターネット接續を用いて今いる場所を Web にてリアルタイムに公開することもできるようである。これは私自身が利用することはないと思うが、興味のある方のためにお伝えしておきたい。

これは GPSed というオンラインサービスと専用アプリケーションをスマートフォンにインストールすることにより実現可能となる。つまり、スマートフォン上にて専用アプリケーションを起動して指定した時間間隔で取得した GPS ログを指定した時間間隔でサイトに自動的にアップするものである。何に使うのか言われると答えに窮するが、例えば華族や知人への所在地通知に使えるかも知れない。またこれにより緊急時に有用である可能性もある。事実専用アプリケーションには SOS 発信のようなメニューがあり、最低限の操作で予め設定したメールアドレスへ現在地の緯度経度情報を記入して送信する機能もある。

せっかく GPS 内臓のスマートフォンを持っていてもなかなか有用なアプリケーションがないと宝の持ち腐れだが、このサービスは無料としてはなかなか有用ではなかろうか。ただし、英語である。まぁ難しいことはあまりないが。

当シリーズの次回は帰宅後これら現場で溜め込んだデータをどうしているのかの概略に触れたい。それ以降は今までを含めそれぞれの具体的な Tips などもお伝えしていきたい。また、皆さんの知恵も拝借できれば幸いである。

写真は八ヶ岳山麓の標高 1400 の高地にかつて存在した村の跡である。その名も『稗之底村』と言い、1763 年頃に放棄されたと伝えられているがそもそもなぜこのような冬期は -20℃に達する寒冷で居住に適さない地に古くから村が存在したのかが謎とされており、文献が極めて少なく極めて不思議な村である。村名も何かしら意味ありげである。

稗之底村趾

私なりの『NPO ひがし大雪アーチ橋友の会』へのささやかな協力

北海道十勝地方の中心都市である帯広からかつて北を目指し、大雪山系の南の麓とも言える三股まで伸びる鉄道があった。その名は士幌線である。残念ながら、1987 (昭和 62) 年 3 月 23 日に帯広~十勝三股の全線が廃止となり、十勝地方の鉄道の歴史の役者の一人が過去帳入りとなった。

初期開業は大正末期に途中の士幌までであり、十勝三股までの全線開通は昭和 14 まで時代が下ってようやくである。しかし当初の計画ではさらに北進し、現在の十国峠を越えルベシベまで抜ける鉄道として計画されていた。

だが結局は十国峠を越えることなく廃止となった。そしてその後には特に途中の清水谷より北側の山間部に多くの鉄道構造物が残った。幸い平野部と異なり、徹底的な撤去や農地への転換等がなされなかったのである。

それらの鉄道構造物の多くは北海道としては少々珍しいとも思えるコンクリートアーチ橋が多い。全長数 m の小規模のものもあれば大規模なものまで様々である。その大規模なアーチ橋として著名なのが『タウシュベツ川橋梁』であろう。北海道の廃線跡を調査している方なら一度は耳にしたことがある橋梁だと思う。

GNR と称して廃線跡などを巡っている私も何とか機会を得て訪れることができた。初めてこの目で間近で見たその時の感動は今でも忘れられない。白く見えるのはもちろん雪である(2009/04/20 撮影)。

旧士幌線タウシュベツ川橋梁

現在これらの旧士幌線のコンクリートアーチ橋群の一部はタイトルにもある NPO 法人である『NPO ひがし大雪アーチ橋友の会』により保存のための補修や付近でのトロッコの運営等様々な活動を行っている。実際いくつかの橋梁は登録有形文化財としての指定も受け、貴重な産業遺構もしくは近代化遺産として認められている。

私のような素人は実際のところ、廃線跡やそこにある鉄道構造物に対してはただ実物を見て建設当時の苦労や長年にわたる鉄道を文字通り縁の下での活躍に思いを馳せる程度である。強いて言えば、さらにそれをささやかながら GNR としてその思いを紹介して同好の士に少しでも役に立てばと思っている程度である。

しかし、実際に保存や産業遺構としての認知度の向上、さらには一般の人達にも足を運んでもらうための様々な努力を同 NPO は行っている。私としては現地に赴きながら彼らへの貢献は実際その気にならなければなかなか不可能である。何故ならば、とどのつまり勝手気ままに廃線跡を探訪しているだけだからである。

しかし、それではイカンと常々考えていたがあまりお金と時間に余裕がない身としては大したことは出来ない。実際私がしたことと言えば、かつての糠平駅跡に建っている同 NPO が運営する鉄道資料館にてパンフレット等を購入するくらいであった。しかし、先月 2010 年 5 月に訪れた際には士幌線で使用されていたというレールの文鎮が新たに販売されていたので迷わず購入した。ちなみに \3,000 である。あれ ? \2,000 だったかな ? ちょっと記憶が曖昧だがどちらでもいい。とにかく同資料館で最高の値段のアイテムである。あわせてこれまた同線で実際に使用されていた犬釘も入手。

私はいわゆるこのようなアイテムのコレクターではないが、『収益金はアーチ橋保存活動の運営費に充てます』とあるので買わない訳にはいかないのである。

旧士幌線の古レール文鎮と犬釘

こんなささやかな協力しかしていないが、皆さんも旧士幌線を訪ねたりもしくは糠平周辺を訪れた際にはこの NPO を思い出して欲しい。詳細な活動内容は上述のリンク先をご覧頂くとして十勝地方の鉄道の一つの記憶を後世に伝える活動を応援していただけたらと思う。もちろん、私もまだまだ旧士幌線の廃線跡調査は完了していないのでいつか再訪する予定である(既に三度訪れている)。実際東京からはなかなか行くのが大変で往々にして札幌出張に乗じて訪問しているため、次回は時期未定ではあるが是非再訪したい。

なお、現在主たるテーマの一つとして第三音更川橋梁の補修にかかる費用を募っているので、これまたささやかな協力として紹介しておきたい。

そして私としてはさらに現在東京の東武博物館で催されている同 NPO による旧士幌線鉄道遺産の写真展が 2010/06/01 ~ 2010/06/13 の日程で開催されると言うことで東京在住の身として訪れてみたものの、現地を何度か訪れている者として個人的には少々残念なものであった。しかし、今後も東京での啓蒙活動を続けてもらえることを期待したい。その時はまた訪れるつもりである。

出張続きで当ブログ更新が・・・

先月から今月にかけては出張が私にとってはかつてない頻度で発生した。ざっとこんな感じ。東京在住としては本州をすっ飛ばしまくりである。

  • 2010/04/15~2010/04/16 札幌
  • 2010/05/08~2010/05/09 博多
  • 2010/05/20~2010/05/27 札幌

さらに、来月 6 月にも日帰りだが以下の出張が予定されている。

  • 2010/06/19 博多

出張族の方々にとってはこの程度の頻度で連続する出張なんぞ何てことないと思われるが、私の場合基本的に出張族ではないため一連の出張はかつてない頻度である。

ただ、実はこの程度の日数であれば元々海洋構造物(棧橋とかシーバース)の補修という業種に少々携わっていたこともある私にとってそんなに大変なものではない。本当に大変なのはこれらの出張に乗じて行う GNR としての廃線跡その他の調査である。言い換えれば『遊び』の部分が大変なのである。

今回のこれらの出張では 4 月と 6 月の出張を除く 5 月の出張に日程的に付随する週末及びゴールデンウイークに目一杯の現地調査を計画した。実際には全てこなせない位の量である。

GNR においてはまだまだ量は少ないものの、廃線跡や産業遺構等のまとめて言えば近代化遺産めぐりをテーマとしており、北海道と福岡という調査対象の宝庫への出陣に備え要領の悪い私は事前の準備にも時間がかかったのである。そのため当ブログ及び GNR そのものの更新もあっさりと止まってしまうこととなった。

そもそも福岡の筑豊地方育ちの私にとって、福岡特に筑豊地方での調査対象は廃線跡にとどまらず炭坑の歴史と共に明治の昔に開業した現役路線の構造物も優れた近代化遺産として含まれる。また、北海道も然りである。開拓や炭坑の歴史の中で多くの路線が生まれ、そして廃線となった。

これらの調査対象を絞り込みそして調査対象及びその地点を洗い出す。これがまた大変である。好きでやってることだから大変というのは少々語弊があるが、私の要領が悪いという意味で大変なのである。以前の記事でどのような準備を行っているかをざっと紹介しているのでご覧頂きたい。

簡単に掻い摘まむと、例えば廃線跡の場合にはまず対象路線を選定する。そして旧版地形図や Web での情報を集めオンライン地図にかつての線路の位置を描く。やったことのある方なら分かると思うが結構な距離の路線の場合には手がつりそうになる作業である。

次に特に押さえておきたい構造物等の見どころを同様に地点登録していく。地道だがこれらの作業には労力を注ぎ込む。なぜならばここをいい加減にしてしまうと現地で見逃しや間違いを起こしやすくなるからである。またオンライン地図を使用するのは後のデータの再利用や最新の地図に書き込むことによって不慣れな土地でも迷子にならないようにするためである。

私の場合、日本ではマイナーな Bing Maps を利用してこれらの作業を行っている。そしてこれらの作業が完了すると携帯用 GPS にデータを転送する。また、Google Maps にもデータを取り込んでおく。現地では GPS を地図替わりと自身の行動をログとして残しておき帰宅後撮影した写真に位置情報を埋め込む。ただ、私の持つ GPS には地形図しか導入していないため、現地において細かな道や航空写真を見たい場合にはスマートフォン(T-01A)にて Google Maps を見て確認するのである。

このようにしておけば地図や調査対象個所を紙ベースで携行する必要が無くなる。このメリットは私の場合大きい。例えば筑豊地方ではあまり問題にならない場合が多いが北海道のような地形が険しい場所の場合、現地で紙で地図を見たりするような手を塞ぐ動作は極力避けたいのである。また何度も見たり片付けたり、雨に打たれたりしていると紙の場合痛んでしまい使い物にならなくなる恐れもある。

さらに GPS と T-01A の両方に同じ情報を持たせることにより例えば北海道の士幌線跡のように携帯電話が圏外となるような場所でも問題ないし、逆に比較的都市部であればインターネット経由で Google Maps を参照して情報を得ることも、Twitter で何かしら写真と主につぶやくこともできる。

また、事前に Web で得た情報は OneNote というメモツールにどんどん放り込んでおき、ノート PC で持っていく。現地ではあまり参照しないが宿泊先がインターネット接續付加の場合に備えるのである。このような準備のため GNR やブログの更新はこれだけの頻度の出張(に乗じた調査)が続くと止まってしまうのである。

今も今回の北海道での調査により撮影した 3,000 枚以上の写真の整理に追われて(見入って)いる。このような遠征では GNR – ○○計画などと銘打って GNR のトップページに過去のものについて総合調査という名勝で一覧でリンクを記載しているのでそちらもご覧頂けると幸いである。これらの結果を少しずつであるが調査報告書として公開していく予定である。

ただ、今は調査期間中の連日の早朝の起床、北海道では合計 600km 以上のレンタカーでの移動、チャリンコや徒歩での調査などにより全身の筋肉痛と疲れが残っている状況である。

写真は今回初めて訪れた北海道拓殖鉄道旧熊牛隧道(新得方坑門)である。ここも最初どうすれば近寄れるのか地図と航空写真と他の方のブログ記事とにらめっこの後、現地での地形や植物の繁殖具合いの下見を経てようやくたどり着いた場所である。なお、ここはいずれそう遠くない未来には完全に土砂に埋没するものと思われる。

北海道拓殖鉄道旧熊牛隧道(新得方坑門)

鞍手軌道直方駅の位置の考察

我が故郷筑豊の直方市にはかつて鞍手軌道という鉄道が存在していた。ここからは一気にローカルな話題で続けるが、直方から福丸までをえっちらおっちらとマッチ箱のような客車を小さな蒸気機関車が牽いていたのである。

直方で育ったがそんな鉄道の存在は東京に出てかなりの年数が経ち、GNR などというサイトを立ち上げ廃線跡や産業遺構等に興味を持ち始めてから初めて知ったのである。

そこで、2009 年秋に GNR – 第二次筑豊・北九州計画と適当な名前の元、現地調査を行うために帰省してみた。鞍手軌道の調査は No.20 である。実際鞍手軌道跡はほぼ全線が道路化され、廃線跡を辿るというよりは『そういえば、この道って子供の頃通ったなぁ』みたいな懐かしい思いがほとんとであった。

実際廃止されたのは 1938 (昭和 13) 年であり、昭和 40 年代生まれの私は影も形も知らない世代である。一大産炭地であった筑豊ではいわゆるフル規格の鉄道でさえ、エネルギー転換政策のあおりで炭坑の矢継ぎ早の閉山とともに多くが失われその痕跡も乏しくなっている中で名称からも分かる通り簡易な鉄道なぞ、時間の経過と共に全くといいほど痕跡はない。

そして、このように痕跡のない廃線跡については Web でもなかなか紹介されていない。つまり、鉄道の香りが全く無い光景は紹介するに値しないと思われがちなのである。現役当時の写真なども個人で所有しておられる方もいらっしゃるだろうが、Web ではほとんどお目にかかれない。

そのため、現地調査はつまるところ前述の通り『道路』を辿るだけということになる。いずれ、机上調査ももう少し進めて現地調査結果とあわせて GNR にて報告書を公開する予定ではあるが、少しでもオンライン上の情報の肥やしになればという気持ちでほんの一部だがこの鞍手軌道について考察してみたい。

それは起点(と思われる)直方駅の位置及びその先の線路の位置である。冒頭のリンク先では「丸食」駐車場付近との記述がある。実際これ以上の情報は Web では見かけない。これをすっかり真に受けると鞍手軌道直方駅は以下のような場所と考えられる。

『丸食』とは『マルショク』と表記されていたスーパーで現在は『サンリブ』と名乗っている。その北側には駐車場があるが、ここが直方駅跡と思われる。すなわち、下の地図で『P』と書かれている付近である。なお、青い線はそれに基づいて推定した鞍手軌道の位置である。この青い線は同軌道全線に渡り GNR – 第二次筑豊・北九州計画 として推測で描いたので参考にして頂きたい。

2010/04/25 追記:鞍手軌道直方駅の位置は下の地図に描いたように『P』の位置ではなく、その手前の交差点付近だったと思われる(次の旧版地形図参照)。

鞍手軌道直方駅跡付近地図

また、鞍手軌道が描かれている地形図として 1946 (昭和 21) 年 10 月発行のものを紹介したい。同軌道廃止後の発行であるが測図は 1938 (昭和 13) 年であるため記載されているのである。はっきり言ってこの縮尺では直方駅跡の位置の推測は難しい。しかしここで、この二つの画像を比較すると注目すべき個所がある。それは鞍手軌道ではなく現在の JR 九州筑豊本線の直方駅から伸びる斜めの道路である。

鞍手軌道直方駅跡付近旧版地形図(昭和 21 年発行)

この道は現在もそのままの線形で残されており、古い道のようである。事実この道路沿いには以下のような煉瓦塀の一部も残されており、かなり歴史があると思われる。

鞍手軌道直方駅跡付近煉瓦塀

ということで手持ちの旧版地形図で確認すると 1901 (明治 34) 年発行のものにもそれらしい道が破線で示されている。むしろ直方の市街地のはずれに出来た現在の筑豊本線の直方駅へと向かう東西方向の唯一のかつ最初の道だったのではないだろうか。

鞍手軌道直方駅跡付近旧版地形図(明治 43 年発行)

鞍手軌道の直方~福丸の全線開業は 1914 (大正 3) 年である。つまり、この筑豊本線から市街地へ続くこの歴史ある道に接する位置に鞍手軌道は直方駅を設けたのではないだろうか。なお、すぐ上の明治時代の地形図で直方の市街地のにしのはずれにある南北の破線で示されて道路はその北に続くやたら太く描かれた道路との位置関係から考えて現在の須崎町商店街ではないかと推測している。

ということで GNR のネタを先出ししてしまったが、今後さらなる机上調査も少しずつになるとは思うが進めていき、報告書として紹介したい。それまでに何か鞍手軌道に関して情報をお持ちの方は当ブログ(要 Windows Live ID)もしくは GNR の自己紹介ページのコメント欄等にてご教示頂けると幸いである。

もしこの鞍手軌道直方駅の位置すら大間違いの場合、前回の現地調査の撃沈具合いを把握すると同時に今年のゴールデンウイークに計画している GNR – 第三次筑豊・北九州計画に再調査を織り込む必要が出てくるのである。

新・鉄道廃線跡を歩く

また本の紹介である。しかも今回はまだ読んでいない。GNR において廃線跡等さまざまなものを調査しているが、そういう者にとって『鉄道廃線跡を歩く』シリーズはバイブルの一つと言えよう。かく言う私も全十巻全てを所有しており、事前及び事後の情報収集に大いに活用させてもらっている。

ところが、この度このシリーズが同じく JTB パブリッシングよりリニューアルして再びリリースされたのである。懐具合いとしてはなかなかキツいものがあるが、全 5 巻大人買いを刊行した。ただ、よく分からないのは Web では発売日が 2010/03/30 となっているが、Amazon で予約購入したところ本日(2010/03/28)届いたことである。遅いよりはいいのでこれは嬉しい誤算であった。

冒頭で紹介した旧リリーズが A5 版だったのに比較すると、今回のシリーズは B5 版となり買い応え充分と言った感じであり、パラパラとめくった感じでは旧シリーズ以上に写真や地形図もふんだんに盛り込まれており、現地探訪ガイドとしてますますパワーアップした印象を受ける。

今回のシリーズでは全国を 5 ブロックに区切って一気に全巻発売となっており少々意外であった。ただ、これは昨今の鉄道趣味のメジャー化も少なからず影響なのかも知れない。全国津々浦々の廃線跡探訪者の新しいバイブルに加わることだろう。

そして、私としては当分のうちは通勤時の読み物として大活躍してくれるに違いない。

ジェイティビィパブリッシング
発売日:2010-03-30

なお余談であるが、つい最近『ブクログ』というオンラインサービスを発見した。これは自分の本棚をオンラインで作成及び共有するものである。さらに各書籍の情報ページにはこれも最近立ち上げられた図書館情報収集サイトの『カーリル』と連携しており、同サービスにて予め自分が設定した図書館での貸出状況が把握できる。

これまで当ブログでは書籍紹介では単純に Amazon の埋込みコードを利用していたが、今後はこのブクログの埋込みコードを取り入れていきたいと思う。参考までに私の本棚は以下のリンクよりご覧頂きたい。内容はまだまだこれからだが、イメージを掴んで頂けると幸いである。

なかなか面白いサービスだと思うので、興味ある方は書籍情報の管理に利用されてみてはいかがだろう。

フォロー

新しい投稿をメールで受信しましょう。